男の育児は迷惑じゃない!

2017年に子供が産まれました。子育て体験を備忘録や愚痴と共に投稿していきます。40代前半から中盤のサラリーマンです。

仕事上がりにパチンコに行って閉店までいて帰ってくる日々

【はじめに】やっぱりパチンコが子育ての足をひっぱる

今日の体験談は少し長くて、途中若干意味がわからない箇所もありましたが、その意味の分からなさ育児の苦悩を表しているようでしたので、そのまま掲載してみます。

読んでみて思うのは、パチンコって夫婦間で結構な問題になりがちだなあと。

【体験談】だんだんと遅くなって

上の子は共働きの中生まれ、姑がとても協力的でした。

私は仕事をしながらの育児でしたので、日曜日は夕食に読んでくれることもしばしば。

一方夫はと言えば、夫は赤ちゃんをお風呂に入れるときは協力してくれましたが、それ以外は、だんだんと育児よりも、自分の好きなことの方が勝っていく感じでした。

 

ある平日の日なかなか帰ってこない夫のことが気になり、近しくさせていただいていた先輩に、なぜ帰宅が遅いのか、心当たりがないのか聞いてみました。

どうも仕事上がりにパチンコに行き、閉店まで遊んでいるようでした。

このパチンコはその後ずっと続きます。


私は子供を保育園に預けて働いていました。

私の職場から近くの保育園です。

夫は一度もお迎えに行ったことはありません。

あまり抱っこもしたことはありませんでした。

私の中で夫は育児の協力者という感じではなかったです。

今考えるとこの時にもっと話し合うべきだったのかもしれません。

 

不満を持ちながら、毎日の子供の送迎や仕事や家事に明け暮れ、無趣味の私でしたが子供だけが救いでした。

もし下の子が生まれたら、保育園任せにせず、明治生まれの祖母が私たち孫を面倒見てくれたようにいろいろしたいと思うようになりました。

上の子が4歳のころ、祖母も他界して、中古の家を買いました。

その時は両家の男親だけが生存していました。

相変わらず夫のパチンコ通いは変わりません。

新しい環境になれるかどうか心配でした。

 

上の子もアパート暮らしが懐かしく、たまに以前住んでいたところの図書館など連れて行きました。

上の子と私だけの、2人だけでの行動が続きます。

 

3年後に下の子が生まれました。

お風呂は上の子と一緒に入り、幼稚園も上の子と同じ幼稚園へ行くことになります。

その幼稚園が親が運動会やお遊戯会も参加し、準備もすべてやらなければならず、夫も手伝う機会がありました。

しかし、上の子との関係はあまり良好ではありませんでした。

下の面倒はなぜか上の子が見るようになりました。

赤ちゃんの頃の下の子を家で見ているころ、よく上の子がお友達を連れてきました。

その頃の写真があります。

下の子は覚えていませんが、上の子の友人たちは自然と下の子まで覚えていてくれたようです。

上の子は活発でした。

下の子が生まれたころに小学校一年生で、水泳に通いたくてたまらなかったのを一年我慢させました。

そうして2年生から通い始めました。

週二回通うのをはじめの一年くらいはまじめに行っていました。

しかし、だんだんお友達と遊ぶことが忙しく、お休みのお電話を入れることが増えていきました。

 

【体験談】意外な事実を知って感じること

 

私の実の母、そして夫の母つまり姑が闘病している間も、夫はパチンコに行きました。

パチンコ店の電話番号を調べて、姑の緊急時にパチンコ店に電話したことがあります。
今思うと、子育てに協力的な家は、割とその後困ることがないように思います。
我が家の場合は、息子が小さい頃から父親の役目をしてくれていて、大学でよそに移るころから異変が始まっていたように思います。
兄弟は性格が違うということです。

どういう子供でも反抗期がなければいけないということです。

下の子は上の子よりも夫は二人で遊びに行ったりしていました。

しかし、父親の役目をその下の子が中1までしてくれた兄は絶対的な存在でした。
上の子はあまりいろいろなことを教えてきませんでした。

いろいろな体験はさせてきました。

どういう人にも優しい心は育っています。

しかし、父親の存在感がなかったのです。
今も、下の子の子育てが続いています。

今精神年齢が低学年でしょうか。

私自身上の子のように共働きではなかったのに、あまりの性格の違いに上は上の性格下は下の性格と育ててきました。

しかし、本音を全く言わないまま10数年育って爆発しました。

今も本音はなかなか話しません。

しかし、子供のことをよく見るようになりました。

子育ては一生続きます。

終わりはありません。

小さい頃上の子のように、自分のやりたいことなどをはっきり言う子はそれにこたえるのエネルギーがいります。

しかし、まったく答えない子も同じようにエネルギーがいります。

スキンシップがいかに重要かということも今も学んでします。

アマノジャクの子も育たなければいけません。

いらないといっても本当はいる場合もあります。

言葉さえ発しない場合もあります。

私たちがしてきたことをすべてすべて見てきたのです。

 

娘がある日一人で留守番をしていました。

幼稚園のころだそうです。

娘は、こっそり夫が行っているパチンコ店に電話しました。

「お父さん帰ってきて」夫は私が電話させたと思っています。

しかし、その話は最近聞きました。

娘がパチンコをやめさせたということでした。

意外な事実を知って思うことは子供は、特におとなしい子供は、家の平和を一番願っているということです。

教えなくても、私たち夫婦がやっていることを見て知っているのです。

だから、学んだことは、しっかりと自分の人生を歩むということです。両親が仲良く、やりたいことを楽しんでいれば子供は育つのです。